誤解その2.国語はセンスだから勉強のしようがない
しばしば、国語はセンスだからどうしようもないということが言われますが、果たして本当にそうなのでしょうか?もし、それが真実だったとしてそのセンスは本当に磨けないものなのでしょうか?
答えはNOです。何をもって国語のセンスというかによって違いはでてきますが、少なくとも受験国語というものに関して言えばセンスというものは関係ありません。
受験国語というものは文章のつながりを意識しながら1つ1つ読み進めるとともに設問に対して論理的に答えを導き出すという科目です。センスといった感覚的なものが入り込む余地は一切ありません。
確かそれほど勉強をしていないのに国語が得意だという子供が存在します。しかし、それは国語のセンスではなく論理的に考える力を身につけているからです。逆にいえば論理的に考える力を身につければ国語が得意になるということです。
つまり、国語の勉強とは算数のように解法を理解して問題を解いていくのではなく文章がどのようなつながり(論理構成)を持って書かれているのかを読み取る学習が必要になっていきます。
読解の勉強というと多くの方が「問題を解いて間違いなおしをする」と思っていますが、問題を解くこと自体はそれほど大切なことではありません。むしろ、”問題文を読む”ということの方がよっぽど重要な勉強なのです。
読解問題ではかならず「次の文章を読んで問いに答えなさい」と書かれています。ということは、”文章に何が書かれているのか”をまずは正確に把握しなくてはいけません。国語の苦手な子はここから始めなくてはいけません。大げさにいえば、問題を解くのはまだ早すぎるのです。
そもそも文章に書かれていることが分かっていないのに問題が解けるわけがありません。ですから、、問題文を読む訓練がお子さんには必要なのです。
いま、お子さんはどれだけ文章を読んでいるでしょうか?おそらく塾で1題、宿題で2題ぐらいが標準的だと思いますが、これでは少なすぎです。できれば毎日、1題分ぐらいの文章は読みたいです。
何も問題を解かせろとはいっていません。問題文を読ませてくださいといっているのです。本当に国語を伸ばしたいのであればこのくらいの勉強は必要です。
国語はセンスだから……とあきらめる前に問題文を毎日1題読ませてください。読み続ければそのセンスだって身についていきます。